−はじめまして。よろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いします。

−和尚さんはインドへ行かれたことがあるそうですが、何か理由があるのでしょうか。

それはね、ネール首相やガンジーなど、それなりの分野でそれなりのすばらしい人々が出てるからだよ。だからといって、みんな非常に我の強い生き方をしている。人間丸出しよ。そういう人間らしい生き方をしている。また、修行者と浮浪者の違いがわからない。ガンジス川で沐浴とかをしてね、衛生とかそういう考えを超えて宗教が生きているところが好きだね。最後に行ったのが20年くらい前だったかな。生き様は変わらないんじゃないかなあ。

−和尚さんは何歳くらいの時にインドに行かれたのですか?

24の時かな。

−どうしてインドに?

釈迦がどういうところで生まれ、どういうところで修行され、どういう人たちに囲まれて王という位や奥さんを捨ててまで、悟りを開く道を行かれたのかなあと思ってね。

−インドに行かれて何を感じましたか。

そうねえ、人間みんなチョボチョボってことを教えられたねえ。小田実(おだ・まこと)がよく言うけどね、どこの国へ行っても人間の大きさはみんな同じだってことだよ。面をかぶって生きてるその姿を露わに見せてくれるっていうかねえ。だから非常にみんな我が強いよねえ。

−人間が濃いですよねえ。

そう思うでしょ。だから無我を説く仏教が栄えたんだよ。だからインドへ行ったんだしね。それでねえ、インドの旅についてだけど、旅の始まりにね、まず仏具とかいろんなものを買い込んだんよ。やっぱり欲があったんよねえ。珍しいし、安いし。そして、汽車で釈迦の修行した土地に向かったんよ。夜になると、インドでも北のほうは寒いからねえ、向こうにいた人に「寒いからこっちにおいで」って言っても来なかったんだよ。横になって寝てたんだけど、ある駅に着いてまた動き出したら、その男はねえ、私の荷物を取って汽車から飛び降りたよ。何もない。私はよう飛び降りんかったよ。まず否定されたね。「無一物で行け」って。警察に言っても何にもならんしね。

−そうですよね。

よく飛び降りてくれたって感じだね、警察もねえ。物を持ってる者は、持ってない者に与えるのは当たり前だっていうよね。だから、インドでは子供から大人まで「バクシーシ・バクシーシ」って言ってねえ、「恵んでくれ」って言うよねえ。こっちは物を取られてねえ、逆にこっちが「バクシーシ」って言うわけよ。そしたらね、その乞食の人がね、自分より困ってると思ったんだろうねえ、恵んでくれたんだよねえ。

−すごいですねえ(笑)。

人間の平等っていうものを、そういう形で訴えてるんじゃないかなあ。

−和尚さんの宗教観の中では、そういう思想をどうお考えですか。

原点はそうでしょうね。欲の否定をしていくからねえ。

−日本ではあまり馴染みのない考えですよね。

そうねえ。それは今の日本が恵まれてるからだよ。戦後はそういうのがたくさんあった。よく自分の小遣いの一部をあげたりなんかしてね。それで、いいことをしたなあ、なんて思ってた。そういう、いいことをできるっていう場は貧しい中にあって、一概に物に恵まれないっていうのはかわいそうなことではなくて、子供にとってはいいことができるチャンスだよね。

−今、例えば新宿では乞食の人がたくさんいますが、豊かなこの時代にどうして恵んであげる人があまりいないんでしょうか。

物に恵まれすぎると、欲も複雑化するんよね。欲の本質は同じなんよ。でも、恵まれてるから豊かになるわけじゃなくて、むしろケチになるっていうかね。物欲が増えるんよね。貧しい人は「物がほしい」っていう心がわかるから、なくても与えていく。豊かな時代だからこそ、貧しい人に共感できなくなるんよね。

−ちょっと前に阪神大震災で話題になったボランティア活動を見てて考えたことがあるんですが、偽善と善についてどうお考えですか。

「偽善」の「偽」は「人の為」と書くよねえ。「人のため」と思ってしまったら、それは偽善だね。

−「偽善」も「善」と認めるべきでしょうか。

つづく