4.ハトシェプスト女王
ハトシェプスト女王は父トトメス1世をとても尊敬していたようで、彼を讃えるものが多く残っています。そのトトメス1世の次のファラオ・トトメス2世が意志薄弱だったため、この頃から彼女は政治力を持ち始めたと考えられています。ハトシェプスト女王は、トトメス1世の娘で、トトメス2世の妻で、トトメス3世の義母なのです。ややこしいかも知れませんが、当時は近親相姦の嵐です。それについては後述します。
紀元前1505年頃、当時6歳だったトトメス3世が王位に即位し、その後見人として台頭してきたのがハトシェプスト女王だったわけです。つまり、「女王」とはいっても実際にファラオとして君臨してたわけではないのです。その証拠に彼女の記録は常に「トトメス3世治世〜年」と刻まれています。また、女王の壁画や像はすべて男性の姿をしているため、ずっと男性だと思われていました。さらに、傀儡にされていたトトメス3世は彼女を嫌い、実際に権力を握った後、壁画中の女王の姿はすべて削りとってしまいました。彼女の名は王名表からも抹殺されています。女王として存在が認められるには、シャンポリオンのヒエログリフ解読を待つことになります。
さて、「ハトシェプスト女王葬祭殿」はご存じでしょうか。
97年12月に日本人がテロで射殺された場所として、一気に有名になったかも知れません。名前くらいは聞いたことがあると思うのですが、ルクソール(当時のテーベ)西岸のディール・アル=バハリにあるテラス式の葬祭殿です。彼女の誕生から即位までの壁画があるので探してみてください。壁画の女王の姿は削り取られていますが、それは先述したとおりです。この葬祭殿は、「王家の谷」の表に位置し、実際の墓を隠す役割も果たしています。「ついたて」のような役割といえばわかりやすいかな。最初見たときは、きれいに残りすぎていて作り物みたいな気がしました。
5.トトメス3世