5.トトメス3世
トトメス3世は紀元前1482年頃、実に治世23年目、29歳にしてようやく単独政権を握ることになりました。彼はそれまでのハトシェプスト女王の政策をすべて否定しました。その最たる例が17回に及ぶ軍事遠征です。これはハトシェプスト女王が平和政策をとっていたことに対抗しているのです。
ハトシェプスト女王の記録を抹消したことはすでに述べましたが、その一例としてカルナック神殿のオベリスクを挙げておきます。ここにはトトメス1世とハトシェプスト女王が建設したオベリスクが1本ずつ建っています。しかし、なぜかハトシェプスト女王の方だけ、まんなか半分からくっきり色が変わっているのです。これは、トトメス3世の仕業なのです。彼としてはオベリスクさえも破壊してしまいたかったのでしょうが、オベリスクは「天をさす神(現地人は「ホルス」と言っていた)の指」、つまり「神」だったため壊せなかったのです。そこで、人目に触れないよう、オベリスクの周りに壁をつくって隠してしまいました。ただ、上部だけは太陽に当たるため、日に焼けて白くなってしまったのです。面白いでしょ。
その後、アメンヘテプ2世、トトメス4世(先述した「夢の碑文」のファラオです)と続き、アメンヘテプ3世の時代を迎えます。この時代、対外関係が重要化したのか、彼は王妃にティイ(おそらくミタンニ人)を迎えています。アメンヘテプ3世は治世5年目のヌビア遠征を最後に、マルカタ王宮で享楽のみを求め、表面的に最大の栄華を誇ることとなります。しかし、そのせいもあって、王妃ティイが政治の実権を握っていたと考えられていて、その証拠に彼女の親族(兄のティイなど。後述)も出世しています。ちなみに、アメンヘテプ3世の宰相はハプの子アメンヘテプ(4大賢人の一人。他は、イムヘテプ・ヘムオン・カエムワセト)、晩年の王妃はネフェルティティ(クレオパトラがいなかったら、美人の代名詞になっていたのはネフェルティティだったかも知れないともいわれています)です。彼の葬祭殿跡には「メムノンの像」しか残っていません。
次のファラオがアメンヘテプ4世、つまり、イクナテン(イクナトンともアクエンアテンとも呼ばれます)です。彼はアテン神信仰を成し遂げ、アマルナ芸術を生み出した偉大なファラオです。新都はテル・アル=アマルナで、カイロとルクソールの間に位置しています。ここは、結構陸路が危険なので、僕も行ったことがありません。ネフェルティティは彼の王妃でもあり、次の王スメンクカーラーだとする説もあります。
6.ツタンカーメン