6.ツタンカーメン
「え?」と思うかも知れませんが、ツタンカーメンの名は王名表に刻まれていません。つまり、存在を抹消されていたのです。その理由は、アテン神信仰の時代だったからです。アメン神が中心だった時代に、アテン神を信仰したファラオは邪魔なだけだったのです。歴史とは常に勝者の歴史なのです。ツタンカーメンはアテン神からアメン神に改宗したファラオでもあったわけですが、治世2年目、当時12歳だった彼にそんなことができるはずもなく、これは宰相だったアイ(次のファラオで、ティイの兄)によるものだったといわれています。こうして、トゥト・アンク・アテン(ツタンカーテン)からトゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン。「アメン神の生きる似姿」の意味)に改名することとなったのです。また、このころ(紀元前1344年頃)、ネフェルティティが他界しました。
さて、治世8年目、彼は暗殺されました。18歳頃です。そのツタンカーメンの存在についてですが、ハワード・カーターによる王墓発見まで、全く確認されていなかったわけではありません。王家の谷で発見されたいくつかの遺物にツタンカーメンの刻印があったため、存在だけは確認されていました。そして王墓発見へとつながるのです。発見当時は、彼のミイラには110キロもする「黄金のマスク」
がかぶせられ、それが3重の人型棺に納められ、さらにそれが3重の厨子に納められていました。また、ツタンカーメン王墓で発見された宝物はほとんどカイロ博物館に展示されています。ただ、ツタンカーメンは今でも王家の谷に眠っています。第一の人型棺の中で誰の目にも触れることなく・・・
発見当時、アンテセナーメン(后)が彼のミイラに添えた矢車菊は黄金に輝く財宝よりも美しかったというのは有名な話です。
ここで宝物について少し述べたいと思います。先述したアマルナ芸術についてですが、「太陽神アテンを礼拝するイクナテンとネフェルティティのレリーフ」「ネフェルティティの胸像」「黄金の玉座」を挙げておきます。アマルナ芸術の特徴は写実主義で、活々として生活感あふれる壁画や彫像が多いことです。「太陽神アテンを礼拝するイクナテンとネフェルティティのレリーフ」は彼ら2人とその子供に太陽光線が降り注ぐ姿が描かれたレリーフです。この太陽がアテン神を表し、「子供」というのがアンテセナーメン(後のツタンカーメンの后)なのです。そして、この子が王位継承権を持っているのです。つまり古代エジプトにおいての王位継承権はファラオの娘が持っていたのです。男として生まれてもファラオにはなれず、ファラオの娘(多くは自分の姉か妹)と結婚することによって、王位を継承できるのです。先述したハトシェプスト女王を例に取ってみると、トトメス1世の娘であるハトシェプストが王位継承権を持ち、彼女と結婚したトトメス2世がファラオとなり、この間に生まれた女性と結婚したトトメス3世(トトメス2世と他の女性との息子)がファラオとなったわけです。
「ネフェルティティの胸像」は彫刻家トトメスによって作製されました。ネフェルティティを恨んでいたのか、この胸像は見る角度によって、とても醜く見えるように彫刻されています。有名で、すばらしい宝物なのですが、発見したドイツ発掘隊が持ち帰ってしまったため、今ではドイツに展示されています。
「黄金の玉座」はツタンカーメン王墓から発見された宝物です。ここには、ツタンカーメンとアンテセナーメンが描かれています。カイロ博物館に展示されています。
次のファラオは、先述したティイの兄、アイ王です。また、イクナテンからこのアイ王まで、アテン神信仰の時代として、王名表から抹消されています。そして、アイ王の次のファラオ、王名表でいうとアメンヘテプ3世の次のファラオは、ホルエムヘブ王です。彼は将軍であったため、軍事クーデタによる王位奪取があったと考えられています。ともかく、ここで第18王朝が幕を閉じ、第19王朝へと移行するわけです。
7.ラムセス2世